イヌやネコを飼っている人、これから飼おうと思っている人には、必ず見てもらいたい映画だ

映画『犬に名前をつける日』を見て 命を預かる覚悟 小菅正夫(旭山動物園前園長 北海道大学客員教授)

人類は、総ての生きものを食料として利用することでしか自然と関わりを持てない孤独 な生活を選択した唯一の生物である。そのことがヒトの精神(心の有り様)に少なからぬ異常な隙間を生みだしてしまった。その隙間を埋めるように自ら近寄ってきたのがイヌの祖先であった。イヌという伴侶を得て、人類はかろうじて自然とのつながりを維持することができた。そのことが人類の大発展に大きな役割を担ってきたのである。イヌの存在 がなければ、人類は精神的な綻びが原因となって、すでに絶滅を迎えたに違いない。

そのようなことを意識することなく、人間はイヌを利用し続けてきた。番犬、軍用犬、牧羊犬、使役犬、盲導犬、食用犬、などなど挙げればきりがない。しかし、人間にとってイヌとの暮らしがもたらす効果の最たるものは、イヌが人と人とを結びつける存在であるということである。イヌの祖先は家族群で暮らすオオカミである。一頭一頭は群れの一員として家族を維持すべく自らの役割を意識して暮らす動物なのだ。イヌはオオカミそのものなので、共に暮らす人々を家族群として認識し、その家族群を正常に維持すべく行動する。だから、イヌは群れを離れて存在することはできない。群れから引き離されることは自らの存在を否定されることに等しいのだ。このことはイヌと暮らしたことのある人はすぐに分かるはずだ。

人類が農耕で生きていた時代。人々は大家族で暮らし、その中でイヌばかりでなくネコや家畜たちも共に暮らしていた。時が過ぎ人間の暮らしぶりも変わってきた。本来集団で暮らしてきたヒトは個で暮らさざるを得なくなった。やがて、心の隙間は大きくなり、その隙間をイヌに埋めてもらう必要性が改めて認識されてきた。イヌは家畜からペットとなり、伴侶動物となった。ヒトとイヌとの関わりの中で最も重要な部分を人間が認識し始めたということだ。現実に、アメリカでは若い受刑者の更生法として、捨てられたイヌの世話をさせる“プリズンドッグ”が有効であると言われている。心を閉ざした受刑者と身も心も傷ついた捨て犬がお互いに心を開くことで思いやりが芽生え、青年は社会復帰を果たし、イヌも暖かな家族に引き取られていくことになる。この活動で受刑者の再犯がなくなったことが報告されている。また、最近では認知症患者のケアにイヌと暮らすことが有効であることも認められてきた。新たな時代がヒトとイヌとの結びつきを強めていくはずだった。

ところが、現実の日本では、血統書の付いた銘犬がもてはやされ、巨大ビジネスとなっている。ビジネスは金で動く社会だ。金は人を狂わせる。案の定、イヌの価値を売買金額で評価し、見た目の可愛い子犬の間に売れなければ、無価値となって放置され、大量に殺処分されるといった痛ましい事件も散見される。この現実に目を背けて、ペットショップのショーケースには常に目新しい子犬が並べられている。

ヒトとイヌが共に暮らしていた時代には、同じ食べ物を食べて生きていたが、高額で買われたイヌにはドッグフードが推奨され、イヌ専用のビタミン剤やミネラルまでもが多種多数店頭に並んでいる。服を着せられ靴を履かされ飾りつけられたイヌが、まるで飼い主のファッションの一部のような出で立ちでヒトに寄り添っている。こんな異様な光景が普通に見られることに違和感を感じない日本社会になってしまっている。

イヌに向けられた輝かしいスポットライトの陰では、多くのイヌたちが捨てられ殺されている。自治体は狂犬病予防法によって飼い主のいないイヌは捕獲しなければならない。飼い主のエゴによって増え続ける捨て犬を、貴重な税金を使って死ぬまで飼い続けることもできず、結局、機械的に殺処分してしまうのが現実だ。

この映画は、そんな“陰”にライトを当てて、“人間社会の陰”を直視する。と、同時に身勝手な人間によって翻弄される命を救おうとする人間を見つめる。千葉と広島にある動物管理センターでイヌやネコを殺処分から救おうとする人々の活動である。彼らは東日本大震災で放置されたイヌたちの救出にも当たっていた。日本政府が原発から半径20km以内の家畜に関して「殺処分」という理不尽な指示を下したのだが、その地にも入って、生存するイヌたちを可能な限り収容する努力をしている姿に胸打たれない人がいるだろうか。彼らの行動が、社会を変えていく力になる。いくつかの自治体で“殺処分0”を目指して活動し、既に実現している保健所もいくつか存在するし、その活動を指示している人々もたくさんいるので、日本もいつの日かドイツのように殺処分0の国となることを信じていたい。でも、それを実現するのは法律や動物愛護センターではなく、飼い主自身の倫理観なのだ。

イヌやネコを飼っている人、またこれから飼おうと思っている人には、必ず見てもらいたい映画である。映画の中で「このイヌたちの悲劇を止めるには、お金を出してイヌを買うことを止めるしかない」という切実な叫びが発せられていた。その言葉が耳から離れない。命を預かるものに責任と覚悟を固めさせるには、もっとも良い教材ではないかと思いながら、この映画を見終えた。